夜明けの海岸

Daisaku on Feb 23rd 2009

夜が明ける。日高山脈が太平洋に落ち込んでゆく険しい海岸線に、打ち寄せる波頭が白く浮かび上がりはじめた。ディーゼルカーは酷寒地仕様の二重窓で、レンズをまっすぐ押し当てても車内の明かりが映りこんでしまう。あきらめてデッキへと出る。車端部の激しい揺れに気を使いながら、ドアの窓にカメラを近づける。ズームレンズを広角側に引いて、空と海を大きく画面に取り込む。ファインダーを横切って鳥が一羽。その姿を追って黒い群れが続く。徐々に雲の量感がはっきりと見え始めて、やがて朝日が空に赤みを加えてゆく。

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北へ

Daisaku on Feb 19th 2009

しばらく更新が滞ってしまったが、先週、いくつかのテーマを取材するため北海道を訪れたので、今回から数回にわたってその道中記を披露したいと思う。
19時3分。青い寝台列車は上野駅を離れ、1,200kmの道程を静かに辿り始めた。懐かしいオルゴールの音色がスピーカーに流れ、車掌が各駅の停車時刻を読み上げてゆく。札幌駅まで16時間あまりの旅路はいかにも長閑だが、優雅に寝ている暇など私にはない。窓の外に流れる光を追って、北への旅が幕を開けた。

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カレンダーのこと

Daisaku on Jan 21st 2009

昨年末、作品によるカレンダーを自主制作した。ドイツのアート雑誌 “Schöngeist” に作品が掲載されたところなので、掲載作品も盛り込みたいとカラーの作品の中からセレクトを行った。カレンダーなので多少の季節感を感じてもらえるようにと思いながら選ぶうち、モノクロームの作品に比べて、カラーの作品では季節によるカット数の変化が大きいことに気づいた。秋と冬に撮影された作品の方が、春と夏のものよりもやや多いのである。
大寒の今日、関東地方には昨日の陽気とうってかわって、肌寒い朝が訪れた。空には灰色の雲が重なって寒そうな雰囲気だが、それぞれの雲の下の方には、かすかに紅い光が照り返して見える。モノトーンの連なりの中に、ささやかな色彩が差しこむ様子はとても美しい。あるいは雪の降り止んだ午後、分厚い雲の切れ間から、僅かな時間だけ降りそそいだ夕暮れの煌めき。そういった時に微細な、時にドラマチックな色彩の変化に心を動かされる瞬間は、晩秋や冬に多いように思うのだが、いかがだろうか。
ご紹介しました2009年カレンダーには数に若干の余裕があります。ご希望の方には実費(600円分の切手にて。送料込)にてお頒けいたしますので、contact(アットマーク)oozu.info宛、メールをお送りください。折り返し、切手のお送り先をご返信いたします。カレンダーはA4版、1ヶ月1見開きで作品14点が収録されています。

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雪は、綺麗ですか?

Daisaku on Jan 11th 2009

「この雪は、綺麗ですか?」
列車は上越国境への入口、水上の駅に到着する直前だった。ドアの窓から雪化粧をした木々を撮影していた私に、その人は声を掛けてくれた。夜来の吹雪がおさまり、つかの間の晴れ間が訪れた昨日昼のことだった。
土地の人と思しき彼女の、言葉通りではない意味を含んだ問いに、しかし私はうまく答えられなかった。何度聞かれても、いつも、上手に答えることのできない質問だった。越後で、津軽で。陸奥で、夕張で。いつ何処で問われても、私は答えに窮してしまうのだった。
寒冷地に住む人たちにとって、雪や冬の悪天候はその美醜にかかわらず、日々の生活のみならず時に生命をも左右する切実な問題に違いない。江戸時代、越後魚沼に生きた鈴木牧之の著作『北越雪譜』に、次のような一節がある。雪深い地方の激しい吹雪の中でいかに人命が失われるか、事例と絵を交えて描写したのち、
「…雪吹(ふぶき)の人を殺す事 大方(おおかた)右に類す。暖地の人 花の散(ちる)に比(くらべ)て美賞する雪吹と其(その)異(ことなる)こと、潮干に遊びて 楽(たのしむ)と洪濤(つなみ)に溺(おぼれ)て 苦(くるしむ)との如し。雪国の難儀 暖地の人おもひはかるべし。連日の晴天も一時に変じて雪吹となるは 雪中の常(つね)也(なり)…」(初編 巻之上 雪吹 岩波文庫版より抜粋)
私の作品には、冬に雪の降る土地で、荒れた天候をとらえたものが少なくない。鈍色の冬空を見れば、心がどうしようもなく北へと向かうのは、温暖な大阪で生まれ育ち、いま東京に暮らす自分には馴染みのない、一見ひとを寄せつかせないような北国の冬の風景に惹かれているからなのは間違いがない。
その陰翳の中にあたたかさがあり、その海に、田畑に、山林にそして雪に、日本の暮らしが支えられていることを、私は知っている。寒地の辛苦をわかちあうことはできなくとも、なぜ撮るのかと問いかける人の気持ちを、思いはかることのできる自分でいたい。だが、こうしてふと、その問いを投げかけられるとき、私はやはり戸惑いを隠せない。上手な答えなどありはしない。白い世界の底を進む列車の中、伝えられなかった思いが心の片隅に残り、やがて雪片とともに宙を舞ってゆく。
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
私の作品が、ドイツのアート雑誌の表紙を飾ることになりました。よろしければご覧ください。
“Schöngeist” Ausgabe 19 (2008年冬号)  Apodion Verlag 刊

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十三夜の月

Daisaku on Sep 16th 2008

旅の終わりにはいつも、寂しさと安堵が心のなかに折り重なる。東へ向かう列車の車窓から大きな湖が見えなくなった頃、遠く稜線の上には夕暮れに照らされた雲が踊った。しかしそれもわずかな間で、つるべ落としに暗くなってゆく宵闇の色が秋の到来を告げていた。
列車は小さな駅に停まった。通過待ちのためしばらく停車するという。プラットフォームに降りると、いっせいに虫の声。ほどなく閃光が近づき、光の帯となって向こう側の線路を駆け抜けてゆく。さて、と列車に戻ろうとして振り返ったその時、東の空にかかった月の姿が僕の視線を奪った。
群青色の薄暮の中、わずかに紅く、わずかに満たされないまま、十三夜の月が刹那を凍らせていた。

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夏空の記憶

Daisaku on Sep 11th 2008

あれは小学校の夏休み、毎日のように通ったプールの帰り道。家の近くまで来た僕は、ふと空を振り返った。
かみなり雲がもくもくと聳え立つ空。昨日と何ひとつ変わらないような昼下がりの夏の空。でもそのとき僕は、何故かその光景に違和感を覚えた。夏休みそのもののような青い空、毎日そこにあって当たり前のように思っていた景色と、その日は何ごとかが決定的に違うように思ったのだ。
いったい何が違っているのか、探しても手がかりは見つからない。空はいつもの夏空で、雲はいつものかみなり雲だった。空の方に違いがないのなら、変わったのはそれを感じる自分の方だった。そう気づいた瞬間、小学生の僕は、自分が何かもう戻ることのできない橋を渡ってしまったことを知った。
年が過ぎれば季節はまた同じように巡り来るけれど、今年の夏は決して去年の夏ではなく、今歩いている自分は去年の、昨日の自分ではないのだった。永遠に続くように思えた夏休みにも、いつか終わりがやってくる。いまは子供の自分も、いずれ子供ではなくなってゆく。何ひとつ変わらない夏の空なのに…何ひとつ変わらない夏の空だからこそ、僕は知らされたのだった。時は流れ移ろい、そうして限りある時間の中に、自分もまた生きているということを。
列車は午後の時間の中を進んでいた。車窓には遠く秋の色を帯びはじめた夏空と、形を失いかけたかみなり雲が映る。無邪気に過ごした少年の日々と訣別し大人へと一歩を踏み出したあの日から、もう幾度めの夏。今年も忍び寄る秋の気配の中、もう少しの間だけ夏の光を感じていたかった。

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青木湖の朝

Daisaku on Sep 3rd 2008

中綱湖を後に北へ。やがて道は二手に分かれて、大きな湖の左右へと回り込んでゆく。青木湖である。
青木湖は仁科三湖の中で最もその面積が広い。周囲の山々にはゲレンデが広がり湖畔にはキャンプ場もあるが、静かな雰囲気の湖で、澄みわたった水が美しい。
湖の西側に通じる道を進む。見晴らす湖面の先、低く流れるやわらかな雲が山の向こうの朝陽の光をはらんで真珠の色に染まる。その明るさが逆光となった対岸の山々を淡く照らし出す。
抑えられたトーンの中に幾千もの光の粒が遊ぶさまの全てを見逃すまいと、ひとしきり忙しく過ごした時間が過ぎた頃、蝉たちの声が樹々の間に響き始める。時計を見ると、午前6時20分。夏の一日は始まったばかりだった。

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中綱湖にて

Daisaku on Aug 16th 2008

夜行列車を終点で降り、各駅停車に乗り継いでさらに北を目指す。すでに夜は明けているが、山々に囲まれた盆地の底に朝の光はまだ届かない。列車が進むにつれ左右の山の緑が迫る。ガラス瓶の首のように細くなってゆく盆地の北の端を塞いで、静かに水をたたえる木崎湖の姿が見えてきた。
長野県と富山県を隔てる後立山連峰の東の山裾、標高800mほどの山あいに、3つの湖が南北に並ぶ。南から順に木崎湖、中綱湖、青木湖と呼ばれ、仁科三湖と総称される大小3つの湖は、北アルプスへの玄関口となる大町とスキーヤーで賑わう白馬の中間に位置しながら、それぞれに静かな佇まいを残している。木崎湖は秋の紅葉と朝霧が特に美しいのだが、今回は次の駅で降りて、中綱湖から歩きはじめようと思う。
中綱湖の湖面は鏡のように静まり返っていた。国道に沿って湖岸を歩く。路傍の草には朝露が宿り、林からは夜気の名残りが伝わってくる。駅から歩いて20分ほど、湖の北辺近くに場所を見つけてカメラを構える。
ファインダー越しの静かな水辺。樹々の上を朝の靄がゆっくりと進むほかには、何ひとつ動かずにいるようだった。

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夏の旅へ

Daisaku on Aug 10th 2008

夏山へ向かう夜行ほど、快適な眠りに縁遠い列車も少ないかもしれない。
暑さにむせ返る都会の夜から、重装備の山男たちで満員の車内に紛れ込み、汗もろくに拭えないままに狭い座席で寝酒を胃に流し込む。
それでも、レールの継ぎ目を拾う音と浅い眠りに身を任せたその翌朝、山の稜線がほのかに浮かび上がり、空が濃い青と朝焼けに染まり始めたら、もう眠気なんて吹き飛んでしまう。まばたきもせず車窓を眺めるうちに、空は刻一刻と色を変えてゆく。水蒸気が山肌をすべり、まだ見えぬ朝日が雲のふちをあかく染め始める。
やがて停車した無人駅でデッキに立ち、清冽な空気を胸いっぱいに吸い込んだら、今年もまた、夏の旅が始まる。

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遠雷を聴きながら

Daisaku on Aug 2nd 2008

梅雨が明けた。樹々の間に蝉の声が響きはじめた。祇園さんも天神さんの船渡御も、今年も短いニュースの中にだけ聞いて、気がつけば関東も夏だった。
今日も真夏日の休日、網戸越しに吹く涼しげな風に誘われ畳に横たわる。どのくらい眠ったのか、風の止んだ気配にふと目を覚まして窓の外を見た。あたりは不思議な夕暮れの色…穏やかでいて艶かしく、懐かしくも恐ろしいようなアンバーの色に満たされていた。
急いでカメラを持ち出す。ベランダから、洗面所の窓から忙しくシャッターを切る。外に出て撮影場所を探す暇はない。夕暮れが美しさを極めるのはほんの一時だが、この何とも言い表せない琥珀色の時間は思いのほか長く続いたように思う。近くの公園から盆踊りのざわめきが聴こえてきて、ようやく我に返る。時刻は午後七時を過ぎていた。
遠く、低く、かすかに雷の音が響いていた。

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