壁のあとで
Daisaku on Nov 11th 2009

20年が過ぎた。ということは、僕自身の上にも同じだけの時間が通り、過ぎ去って行ったということだ。ベルリンの壁が打ち崩されてゆく、あのニュース映像。感受性の固まりのような年頃の僕に、それは初めて体験する同時代の大きなうねりだった。いや、あの頃、間違いなく時代は変わろうとしていた。1989年…。
アメリカの核の傘の下、「鉄のカーテン」の向こうをどのように見ていたか、あるいは見ていなかったか。とにかく、ペレストロイカは新しい兆しだった。ゴルバチョフは、それまでの皺くちゃの風貌をした指導者たちとは確かに違って見えた。古いドクトリンは放棄され、やがて長い冬を耐えた国々の人たちの声が、例えばワレサ率いる連帯を後押しして、改革の波はもはや遡ることのない流れとなってゆく。ハンガリーとオーストリアの国境を一千人の人々が越えた。東ドイツでも市民によるデモが頻発し、ホーネッカーが辞任する。そしてあの日、ついに「壁」は破れた。たとえ誤報が最後の引き金だったとしても、越境を止める者はもう誰もなかった。抱き合う人々の熱気、次々に走り抜けるトラバント。あれほどの歓喜の渦というものを、僕はそれまで見たことがなかった。
時は流れ、冷戦後の世界に民族紛争の嵐が訪れた。ソビエト連邦は崩壊し、長い経済的苦境の果てにロシアは独裁色を強める。アメリカは核では抑止できない相手との、泥沼の戦争に足を踏み入れた。そして再統一を果たしたドイツには、旧東西間の容易には埋められない格差に端を発する、幾つもの難問が待ち構えていた。
今日、あの橋を渡るメルケル首相の横顔に、複雑な思いが浮かんで見えたのは気のせいだろうか。彼女を含め旧東ドイツに暮らした人々にとって、この20年はどのような意味を持ったのだろう。2009年、巨大なベルリンは20世紀をあちらこちらに覗かせたまま、グローバリズムと様々な歪みを抱えた現代の先頭を疾走している。夕暮れ時、カール=マルクス大通りからは美しく沈んでゆく夕陽を見ることができる。そびえ立つ「東」のテレビ塔の先、ミッテ地区のすぐ向こうに、人の営みと思いを断ち切る「壁」があった。その影は今も、人々の暮らしのどこかに差し続けているのだろうか。
無関心な凝視
Daisaku on Nov 8th 2009

その少年が僕の隣に座ったのはどの駅からだったろうか。フード付きのパーカーに半ズボン、荷物と呼べるようなものは何も持っていないようだった。
仕事帰りの列車の中。いつも何かが噛み合わないような、宙ぶらりんの一週間に早く幕を引きたくて、僕は読書に集中していた。だから少年の乗って来た駅すら覚えていなかったのだが、手にした何かをしきりに弄るような彼の動作に、ふと視線を向けた。
少年の掌には、一丁の銃があった。M16と思われるアサルト・ライフルの、全体を寸詰まりにしたようなおもちゃの小銃。弾丸が詰まってしまったのか、縦にしてしきりに銃身を叩いたり、弾倉を何度も取り付けたり外したり、そんな動作を繰り返している。ひどく真剣そうな様子だった。
僕も子供の頃、おもちゃの拳銃で遊んだ。駄菓子屋で買ったコルト.45口径やらワルサーP38やらには、土くれを丸めて銀色に塗った銀玉と呼ばれる弾丸を装填できた。新聞紙一枚撃ち抜けないような代物だったが、マッチ箱などを並べては射撃の真似事をして遊んだ。エアガン用のBB弾を使えば命中精度が上がることを発見したのは少し大きくなってからのことだが、精巧なモデルガンの類を欲しいとは思わなかった。しかし、半ズボンのポケットに隠し持った小さな銀玉鉄砲が何を模していて、何のためにある道具なのかはよく理解していたように思う。
駅が近づく。座席を立つ人々から一歩遅れて、少年も立ち上がった。列車がプラットホームに滑り込む。ねずみ色のフードが揺れ、少年の浅黒い、思い詰めたような横顔を一瞬だけ覗かせて横切ってゆく。鈍い光を放つM16を右手に携えた少年を、しかし誰も気にはとめないままに歩み去ってゆく。発車のベルが鳴る。早くもホームからは人の姿が消える。薄暗いプラットホームに立つ彼を、見ていた目は僕のほかにもうひとつ、天井からぶら下がった小さな箱だけーー青白く塗られた監視カメラが、無機質な、そしてどこまでも無関心な視線を彼に投げかけていた。
