カレンダーのこと
Daisaku on Jan 21st 2009

昨年末、作品によるカレンダーを自主制作した。ドイツのアート雑誌 “Schöngeist” に作品が掲載されたところなので、掲載作品も盛り込みたいとカラーの作品の中からセレクトを行った。カレンダーなので多少の季節感を感じてもらえるようにと思いながら選ぶうち、モノクロームの作品に比べて、カラーの作品では季節によるカット数の変化が大きいことに気づいた。秋と冬に撮影された作品の方が、春と夏のものよりもやや多いのである。
大寒の今日、関東地方には昨日の陽気とうってかわって、肌寒い朝が訪れた。空には灰色の雲が重なって寒そうな雰囲気だが、それぞれの雲の下の方には、かすかに紅い光が照り返して見える。モノトーンの連なりの中に、ささやかな色彩が差しこむ様子はとても美しい。あるいは雪の降り止んだ午後、分厚い雲の切れ間から、僅かな時間だけ降りそそいだ夕暮れの煌めき。そういった時に微細な、時にドラマチックな色彩の変化に心を動かされる瞬間は、晩秋や冬に多いように思うのだが、いかがだろうか。
ご紹介しました2009年カレンダーには数に若干の余裕があります。ご希望の方には実費(600円分の切手にて。送料込)にてお頒けいたしますので、contact(アットマーク)oozu.info宛、メールをお送りください。折り返し、切手のお送り先をご返信いたします。カレンダーはA4版、1ヶ月1見開きで作品14点が収録されています。

雪は、綺麗ですか?
Daisaku on Jan 11th 2009

「この雪は、綺麗ですか?」
列車は上越国境への入口、水上の駅に到着する直前だった。ドアの窓から雪化粧をした木々を撮影していた私に、その人は声を掛けてくれた。夜来の吹雪がおさまり、つかの間の晴れ間が訪れた昨日昼のことだった。
土地の人と思しき彼女の、言葉通りではない意味を含んだ問いに、しかし私はうまく答えられなかった。何度聞かれても、いつも、上手に答えることのできない質問だった。越後で、津軽で。陸奥で、夕張で。いつ何処で問われても、私は答えに窮してしまうのだった。
寒冷地に住む人たちにとって、雪や冬の悪天候はその美醜にかかわらず、日々の生活のみならず時に生命をも左右する切実な問題に違いない。江戸時代、越後魚沼に生きた鈴木牧之の著作『北越雪譜』に、次のような一節がある。雪深い地方の激しい吹雪の中でいかに人命が失われるか、事例と絵を交えて描写したのち、
「…雪吹(ふぶき)の人を殺す事 大方(おおかた)右に類す。暖地の人 花の散(ちる)に比(くらべ)て美賞する雪吹と其(その)異(ことなる)こと、潮干に遊びて 楽(たのしむ)と洪濤(つなみ)に溺(おぼれ)て 苦(くるしむ)との如し。雪国の難儀 暖地の人おもひはかるべし。連日の晴天も一時に変じて雪吹となるは 雪中の常(つね)也(なり)…」(初編 巻之上 雪吹 岩波文庫版より抜粋)
私の作品には、冬に雪の降る土地で、荒れた天候をとらえたものが少なくない。鈍色の冬空を見れば、心がどうしようもなく北へと向かうのは、温暖な大阪で生まれ育ち、いま東京に暮らす自分には馴染みのない、一見ひとを寄せつかせないような北国の冬の風景に惹かれているからなのは間違いがない。
その陰翳の中にあたたかさがあり、その海に、田畑に、山林にそして雪に、日本の暮らしが支えられていることを、私は知っている。寒地の辛苦をわかちあうことはできなくとも、なぜ撮るのかと問いかける人の気持ちを、思いはかることのできる自分でいたい。だが、こうしてふと、その問いを投げかけられるとき、私はやはり戸惑いを隠せない。上手な答えなどありはしない。白い世界の底を進む列車の中、伝えられなかった思いが心の片隅に残り、やがて雪片とともに宙を舞ってゆく。
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
私の作品が、ドイツのアート雑誌の表紙を飾ることになりました。よろしければご覧ください。
“Schöngeist” Ausgabe 19 (2008年冬号) Apodion Verlag 刊
“Schöngeist” Ausgabe 19 (2008年冬号) Apodion Verlag 刊
