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	<description>旅の記憶、日々の記録。一枚の写真に焼き付けられた、それぞれの断章。</description>
	<pubDate>Thu, 10 May 2012 11:19:23 +0000</pubDate>
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		<title>福島を歩く — 2 —</title>
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		<pubDate>Wed, 09 May 2012 06:52:57 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Daisaku</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[東日本大震災]]></category>

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		<description><![CDATA[「一年経って、ここまで片付きました。でもそれだけ。片付いたというだけ」
Fさんはそう言って道の先に視線を戻した。路肩も定かではない道路の左右には見渡すかぎりの荒れ地が広がっている。焦茶色の泥濘と無数の水たまり、枯れた冬草 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<div style="margin-top:15px">「一年経って、ここまで片付きました。でもそれだけ。片付いたというだけ」</div>
<div style="margin-top:20px">Fさんはそう言って道の先に視線を戻した。路肩も定かではない道路の左右には見渡すかぎりの荒れ地が広がっている。焦茶色の泥濘と無数の水たまり、枯れた冬草の茶色、わずかに残った雪。右手にはところどころ破れた堤防の向こうに波頭が白く見え隠れしていた。</div>
<div style="margin-top:20px">2012年3月11日、南相馬市原町区の海岸近く。そこには津波に蹂躙された荒廃地がどこまでも広がっていた。昨春、震災後に再訪した陸前高田の風景が、まぶたの裏に重なって見えた。<br />
原町区に住むFさんとは偶然に出会った。警戒区域との境界付近、作付けの出来なくなった農耕地などを丹念に撮影して歩いていた私に、Fさんは海岸方面の案内を申し出てくださった。私は普段、公共交通機関または徒歩での撮影行を基本としている。海岸へもそのあと歩いて向かうつもりでいたが、Fさんの好意を受け、私は車の助手席に乗り込んだ。</div>
<div style="margin-top:50px">友人の暮らす気仙沼を始め、津波によって壊滅的な被害を受けた地域を、震災のあと幾度も訪れてきたが、福島県浜通りの沿岸部は他県とは異なる様相を呈している。広大な地域に広がる今回の被災地の一部を見聞しただけで安易に語れはしないが、明らかに復旧作業が進んでいないことが見て取れる。Fさんにそう話すと、冒頭の言葉が返ってきた。走っている道の両側には、かつてびっしりと人家が続いていた。それが根こそぎ流されてしまった。膨大な瓦礫は自衛隊の懸命の努力も得てようやく取りのけられたという。</div>
<div style="margin-top:20px">やっと瓦礫は片付いた。しかし、ではこれからどうするのか。その先が見えない。</div>
<div style="margin-top:20px">津波に倒されてしまった高圧鉄塔の近くに、瓦礫置き場があった。木材や石材を始めとする建材、道具類や家電などのほか、一定の長さに切りそろえられた松の幹も一山をなしている。防潮林の残骸であった。<br />
瓦礫の中には二隻の小さな漁船があった。舷側に赤いスプレーで記された「連絡済」の文字。それをFさんに話すと、車は再び北へ向かった。</div>
<div style="margin-top:75px"></div>
<p><img class="aligncenter size-full wp-image-114" src="http://www.oozu.info/blog/wp-content/uploads/2012/05/20120311-SDIM3047_SPP.jpg" alt="" width="600" /><br />
真野漁港［福島県南相馬市鹿島区にて 2012年3月11日撮影］<br />
Fishing gear and fisher-boats became useless, Minami-Souma, Fukushima / March 11 2012.<br />
Photography by Daisaku oozu.</p>
<div style="margin-top:20px">「ここが真野。真野漁港です」</div>
<div style="margin-top:15px">ささやかな漁港に、設備はほぼ跡形も残っていない。しかし、岸壁には陸揚げされた数隻の漁船が整然と並べられ、拾い集められた漁具が山と積まれていた。警戒区域内の浪江町、請戸漁港の船もある。津波の日、漁師たちが必死で守ったに違いない船。さらに北、相馬市の相馬漁港を訪れると、そこには百隻を超えると思われる漁船が、ほぼ無傷の姿のまま静かに舫われていた。<br />
深刻な海洋汚染を受けて、福島の漁協は沿岸部での漁の自粛を続けている。船は無事でも、目の前に広がる海には出ることができない。では、どうやって生活を再建すればよいのだろうか。</div>
<div style="margin-top:60px">漁業も農業も明日を描けない。生活基盤が破壊されただけではなく、復興したくとも原発事故がその道筋を不透明なものにしている。そして、放射性物質の排出は依然として続く。</div>
<div style="margin-top:20px">「私たちは、モルモットのようなものですよ」</div>
<div style="margin-top:20px">Fさんが言う。政府は、折に触れ「ただちに健康には影響しない」という表現を繰り返してきた。しかし、将来どのような影響が現れるのかは見当もつかない。ふと「棄民」という言葉が頭をかすめる。</div>
<div style="margin-top:25px">御礼の言葉を述べて車を降りる。薄い陽射しが雲間から降りて、町を淡く照らしていた。</div>
<div style="margin-top:60px">関連記事：<a href="http://www.oozu.info/blog/?p=144" target="_blank">福島を歩く — 1 —（2012-4-15）</a></div>
<div style="margin-top:5px">関連記事：<a href="http://www.oozu.info/blog/?p=136" target="_blank">渚にて（2011-4-26）</a></div>
<div style="margin-top:5px">関連記事：<a href="http://www.oozu.info/blog/?p=133" target="_blank">沈黙の春（2011-3-24）</a></div>
<div style="margin-top:25px">　</div>
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		<title>福島を歩く — 1 —</title>
		<link>http://www.oozu.info/blog/?p=144</link>
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		<pubDate>Sun, 15 Apr 2012 13:10:01 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Daisaku</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[東日本大震災]]></category>

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		<description><![CDATA[
一年が過ぎた［福島県南相馬市鹿島区にて 2012年3月11日撮影］
One year has passed, Minami-Souma, Fukushima / March 11 2012.
Photography b [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img class="aligncenter size-full wp-image-114" src="http://www.oozu.info/blog/wp-content/uploads/2012/04/20120311-SDIM3062.jpg" alt="" width="600" /><br />
一年が過ぎた［福島県南相馬市鹿島区にて 2012年3月11日撮影］<br />
One year has passed, Minami-Souma, Fukushima / March 11 2012.<br />
Photography by Daisaku oozu.</p>
<div style="margin-top:40px">去る2月、ドイツ・ベルリンのギャラリーから1通のメールが届いた。<br />
私の新作について、個展の開催を打診する内容であった。新しい作品は日本各地に材を取り、風景の奥に潜むものを炙り出す写真作品として、ベルリンでの発表を想定しつつ2009年から撮影を進めていたもので、だからこのメールは私にとって待ち望んだ返答であった。朗報に喜ぶ私に、やがて追伸が届く。</div>
<div style="margin-top:10px"><em>May I tell you another careful idea:<br />
Could you make photographs about the fukushima incident?</em><br />
加えて、福島の原発事故について撮影できないか、というのである。</div>
<div style="margin-top:35px">おそらくドイツは、福島に最も強く関心を寄せる国の一つに違いなく、ギャラリーの考えは理解できる。世間の耳目を得るためのものではなく、&#8221;careful idea&#8221; であるとも断っている。だが私は考え込んだ。<br />
新作は「光のシークエンス」などに比べ、私自身の社会に対するさまざまな問題意識を強く反映した作品であり、震災の1年半前から制作を進めてきたが、昨年の一連の大災害と原発事故を受けて、私はテーマがより深まったことを自覚していた。その結果、作品にはすでに福島を含む各県の被災地を撮影した写真が含まれているが、福島をよりクローズアップした場合、作品や展示の中でどのようにバランスをとるか。また事実上、警戒区域内に入ることのできない現状を考えると、果たしてどれほどのことを伝えられるのか…。<br />
それでも、私は再び福島へと向かった。安定しない3月の空模様のもと、浜通りから中通り、そして会津へ。これから数回にわたり書き連ねる記事は、そのささやかな備忘録である。</div>
<div style="margin-top:35px">私は、一般の人が普通に立ち入ることのできるルートを辿って撮影した。<br />
しかしそれでも私はそこかしこで、少なくとも私にとって、現場に足を運ばなければ骨身に沁みて知ることのなかった、過酷な現状を思い知らされることになる。<br />
撮影を通じて、さまざまな方々との出会いがあった。福島に暮らす人、福島を故郷に持つ人、事故以前に福島に移住してきた人。自らの手で発信を続ける人、そして到底言葉にはできない思いを抱えて暮らす、数多くの人々。幾人もの方にお世話になり、会話を重ねる中で、福島の撮影にあたって自分が立つべき位置を再確認できたと思っている。</div>
<div style="margin-top:35px">私は報道人でも運動家でもない。ただ表現を自らの業とした一人の人間として、問題に直面している人を思い寄り添いながら、辛い現実も変わらない美しさも、心に映る風景の中から掬い上げていきたいと思う。</div>
<div style="margin-top:35px">人災たる原発事故から1年が経過してなお、東京電力からも国からも、十分な対応を得ることのない福島の現状を歩き、眼前にして、小さくとも声をあげずにいられはしない。そして福島の問題は日本全体の問題に他ならない。それが、原発の問題に関心の高いドイツで福島の写真を掲げる意味であり、ここに拙い文章を記す理由である。</div>
<div style="margin-top:45px">関連記事：<a href="http://www.oozu.info/blog/?p=133" target="_blank">沈黙の春（2011-3-24）</a></div>
<div style="margin-top:5px">関連記事：<a href="http://www.oozu.info/blog/?p=136" target="_blank">渚にて（2011-4-26）</a></div>
<div style="margin-top:5px">関連記事：<a href="http://www.oozu.info/blog/?p=138" target="_blank">再び、渚にて（2011-6-28）</a></div>
<div style="margin-top:25px">　</div>
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		<title>霧の中の風景</title>
		<link>http://www.oozu.info/blog/?p=143</link>
		<comments>http://www.oozu.info/blog/?p=143#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 25 Jan 2012 15:35:33 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Daisaku</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[旅]]></category>

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		<description><![CDATA[
音もなく霞む地平線の彼方、大地にひしめく人影が宿した、つかの間の生も、
幾年月に渡る哀しみも、国境にこだまする銃声とともに、いつしか深い霧の中に。
求め、たぐりよせるほどに遠ざかる光を指して、果てなく進む一艘の舟。
1 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img class="aligncenter size-full wp-image-114" src="http://www.oozu.info/blog/wp-content/uploads/2012/01/20090724-_7244111.jpg" alt="" width="600" /></p>
<div style="margin-top:35px">音もなく霞む地平線の彼方、大地にひしめく人影が宿した、つかの間の生も、<br />
幾年月に渡る哀しみも、国境にこだまする銃声とともに、いつしか深い霧の中に。</div>
<div style="margin-top:32px">求め、たぐりよせるほどに遠ざかる光を指して、果てなく進む一艘の舟。<br />
1月24日、テオ・アンゲロプロス逝く。76歳であった。</div>
<div style="margin-top:45px"></div>
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		<item>
		<title>5時46分、それから</title>
		<link>http://www.oozu.info/blog/?p=142</link>
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		<pubDate>Mon, 16 Jan 2012 20:46:31 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Daisaku</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[日々]]></category>

		<category><![CDATA[東日本大震災]]></category>

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		<description><![CDATA[
神戸市東灘区にて［1996年夏撮影］
忘れようにも忘れられない朝がある。1995年1月17日 — その日、私は大阪市淀川区の実家で、阪神・淡路大震災に遭遇した。東日本大震災の発生から初めての1月17日を迎える今日、17 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img class="aligncenter size-full wp-image-114" src="http://www.oozu.info/blog/wp-content/uploads/2012/01/96_093_TR.jpg" alt="" width="597" /><br />
<strong>神戸市東灘区にて</strong>［1996年夏撮影］</p>
<div style="margin-top:40px">忘れようにも忘れられない朝がある。1995年1月17日 — その日、私は大阪市淀川区の実家で、阪神・淡路大震災に遭遇した。東日本大震災の発生から初めての1月17日を迎える今日、17年の歳月が流れても心を去ることのない「あの朝」について、あらためて書き記しておきたい。</div>
<div style="margin-top:55px">午前5時半過ぎ、なぜだか私は目を覚ました。毛布をかぶったまま、枕元に置いたラジオ付き電気時計の明かりをぼんやりと眺めていた。文字盤がぱたり、と音を立てて5時46分。突然、体が放り出されるような強烈な揺れに襲われて飛び上がった<sup>[<a href="http://www.oozu.info/blog/?p=142#footnote_0_142" id="identifier_0_142" class="footnote-link footnote-identifier-link" title="凄まじい地鳴りの直後に揺れたという人が多い。2階にいたためか、年代物の電気時計の騒音もあってか、私は地鳴りを「耳では」聞いていないように思う。だが体は、その低い振動と音を聴き取っていて、今もなお忘れていないようである。影響は本文中に後述。">1</a>]</sup>。 寝具の上に身を起こすが真っすぐに立つことができない。体がバランスを保てない。床が、壁が、家全体が音を立てて激しく揺れていた。ゆっくりとした振動ではない。強く、絶え間のない強烈な揺れだ。夢中で柱にしがみつくその間にも、揺れはますます大きくなってゆく。暗闇の中から「家が倒れるぞ」と父の大声。その瞬間はもう目前のように思えた。必死に考えを巡らせる。もし倒れたら?ここは2階だ、頭上は屋根だけだ。なんとか命だけは助かるかもしれない…</div>
<div style="margin-top:22px">
それまで、関西に大きな地震は来ないと言われてきた。何ひとつの根拠もないことだが、おおかたの人はそう思っていたのである。確かに、水害や台風の話は何度も聞かされてきたが<sup>[<a href="http://www.oozu.info/blog/?p=142#footnote_1_142" id="identifier_1_142" class="footnote-link footnote-identifier-link" title="大阪湾が台風による風が吹き付ける西に向かって開いていることもあり、大阪は台風接近に伴う急激な高潮の被害に幾度も襲われている。室戸台風（昭和9年）やジェーン台風（昭和25年）、第2室戸台風（昭和36年）など、その恐ろしさを繰り返し聞かされたものである。また六甲山系を形作る古い花崗岩質が、豪雨により土石流となって街を襲った阪神風水害（昭和15年）も、阪神間に大きな被害をもたらしたと聞く。">2</a>]</sup>、地震となると東京の人なら慣れっこのような弱いものでも、関西では珍しいことであった。だがその間違った安心感が、家庭や地域はもとより自治体に至るまで地震への備えを貧弱なものにさせていたのである。</div>
<div style="margin-top:22px">
激しい揺れの中で、地面が信じられなくなる。今まで盤石と思った大地が突如として傾ぎ、歪み、立っていることすらできない。強い直下型地震のあの恐怖は、経験した人にしかわからないかもしれない。「大きな地震は来ない」と思い込んできたのだからなおさらであった。揺れがおさまるまでに、かなり時間が経ったように覚えている。とにかく家族の無事を確認できたものの、階下に降りることはできなかった。停電で明かりはなく、外はまだ暗い。近所の犬たちがあちらこちらで、激しく鳴き声をあげている。そのうちに電気時計が動き始め、私はラジオをつけた。ダイヤルを回し、確かNHKだったと思うが「神戸で震度6<sup>[<a href="http://www.oozu.info/blog/?p=142#footnote_2_142" id="identifier_2_142" class="footnote-link footnote-identifier-link" title="2月になって、震度7と発表される。また大阪は震度4とされたが、この数値は上町台地の固い地盤の上に設置された大阪管区気象台の地震計によるもので、多くの人が実際に経験した揺れの激しさとはかけ離れており、耳を疑ったものである。のちに、自宅から2kmほど離れた中津（梅田などの繁華街と同じ大阪市北区）の変電所の地震計で、震度6が記録されていると耳にした。">3</a>]</sup>」との報に驚き、須磨に放送局のあるラジオ関西に変えた。スタジオも壊れているが情報が入り次第…というような落ち着いた声が聞こえて、不思議に少しだけ安心する。<br />
やがて夜が明けて1階に降りると、部屋の中は家財が散乱して足の踏み場もないほどになっていた。幸いにも家そのものは無事だったがブロック塀には大きく長いひびが入った<sup>[<a href="http://www.oozu.info/blog/?p=142#footnote_3_142" id="identifier_3_142" class="footnote-link footnote-identifier-link" title="倒れなかったのが不思議なほどのひび割れであった。その他、見えない場所にさまざまな不具合はあった。なお、部屋によって、また同じ町内でも揺れの「向き」によって被害の状況はかなり異なっていた。">4</a>]</sup>。ようやくひと通りの片付けを終えてテレビをつけた途端、目に飛び込んだのは六甲の裾野から海沿いまでが黒く煙り、あかあかと炎が立ちのぼる恐ろしい光景だった。子供の頃から慣れ親しんだ元町も三宮も、まだどこかに長閑な雰囲気が残る阪神間の風景も、ことごとく瓦礫に覆われた。阪神高速道路は横倒しになり、ささやかだが素敵な美術館<sup>[<a href="http://www.oozu.info/blog/?p=142#footnote_4_142" id="identifier_4_142" class="footnote-link footnote-identifier-link" title="伊丹市立美術館。Regina Schmeken の写真など、この美術館で出会っている。">5</a>]</sup>へと通った阪急電車の伊丹駅は、電車もろとも倒壊していた。</div>
<div style="margin-top:22px">
然るべき対応は思うように行き届かず、多くが後手に回っているようだった。余震は長く続き、私は低い振動音に異常に敏感になった。たとえば戸外に車のディーゼルエンジンの音が近づくだけで、胸の動悸が高まり圧迫されるような不快感を覚えるのである。死者の数は毎朝、新聞を開くたびに増えていった。そうして私はついにその年、カメラを持って神崎川を渡ることはなかった。これについてはいつか書くことがあるだろうと思う。しかし今はまだその時ではない。</div>
<div style="margin-top:70px">
東日本大震災とは異なり、仮設住宅の整備は早かった。しかし仮設はあくまでも仮の生活の場所であった<sup>[<a href="http://www.oozu.info/blog/?p=142#footnote_5_142" id="identifier_5_142" class="footnote-link footnote-identifier-link" title="避難者数は30万人を超えていたと記憶する。">6</a>]</sup>。暑さ寒さをしのぐことさえ難しいと伝えられ、また旧来の人付き合いを断たれたことによって孤独な死が跡を絶たなかった<sup>[<a href="http://www.oozu.info/blog/?p=142#footnote_6_142" id="identifier_6_142" class="footnote-link footnote-identifier-link" title="これを教訓として、新潟県中越地震からは住んでいた地域ごとに入居できるようにするなど、配慮がなされるようになったと聞く。">7</a>]</sup>。結局予定を超える5年で仮設住宅は消えたが、自治体の建設した災害復興公営住宅では今もコミュニティの形成に課題が残り<sup>[<a href="http://www.oozu.info/blog/?p=142#footnote_7_142" id="identifier_7_142" class="footnote-link footnote-identifier-link" title="既存のマンションなどに同じく、住民の孤立が問題となっている。特に一人住まいの高齢の方の場合など大きな問題である。">8</a>]</sup>、民間から借り上げの復興住宅では入居期限があと3年と迫って、こちらは住み替えが問題と聞く。そして、阪神・淡路大震災の残した傷は住居の問題にとどまらず、関西全体の生活と文化活動、経済そして地域行政に色濃い影を落とし続けている<sup>[<a href="http://www.oozu.info/blog/?p=142#footnote_8_142" id="identifier_8_142" class="footnote-link footnote-identifier-link" title="進行していたバブル景気の崩壊が、それに拍車をかけた。">9</a>]</sup>。</div>
<div style="margin-top:30px">
昨年を通してこのブログでも触れてきたが、大きな災害は広い範囲に深く長く爪痕を残し、復興への険しい道のりには多くの方面からの長期にわたる支援が欠かせない。失われた命は帰らず、慣れ親しんだ景色は容易に取り戻せはしないが、時を経ても忘れず支え続ける人が少しでも多くあるならば、災害に遭われた方の未来もやがて照らし出されることと思う。</div>
<div style="margin-top:40px"></div>
<ol class="footnotes"><li id="footnote_0_142" class="footnote">凄まじい地鳴りの直後に揺れたという人が多い。2階にいたためか、年代物の電気時計の騒音もあってか、私は地鳴りを「耳では」聞いていないように思う。だが体は、その低い振動と音を聴き取っていて、今もなお忘れていないようである。影響は本文中に後述。</li><li id="footnote_1_142" class="footnote">大阪湾が台風による風が吹き付ける西に向かって開いていることもあり、大阪は台風接近に伴う急激な高潮の被害に幾度も襲われている。室戸台風（昭和9年）やジェーン台風（昭和25年）、第2室戸台風（昭和36年）など、その恐ろしさを繰り返し聞かされたものである。また六甲山系を形作る古い花崗岩質が、豪雨により土石流となって街を襲った阪神風水害（昭和15年）も、阪神間に大きな被害をもたらしたと聞く。</li><li id="footnote_2_142" class="footnote">2月になって、震度7と発表される。また大阪は震度4とされたが、この数値は上町台地の固い地盤の上に設置された大阪管区気象台の地震計によるもので、多くの人が実際に経験した揺れの激しさとはかけ離れており、耳を疑ったものである。のちに、自宅から2kmほど離れた中津（梅田などの繁華街と同じ大阪市北区）の変電所の地震計で、震度6が記録されていると耳にした。</li><li id="footnote_3_142" class="footnote">倒れなかったのが不思議なほどのひび割れであった。その他、見えない場所にさまざまな不具合はあった。なお、部屋によって、また同じ町内でも揺れの「向き」によって被害の状況はかなり異なっていた。</li><li id="footnote_4_142" class="footnote">伊丹市立美術館。Regina Schmeken の写真など、この美術館で出会っている。</li><li id="footnote_5_142" class="footnote">避難者数は30万人を超えていたと記憶する。</li><li id="footnote_6_142" class="footnote">これを教訓として、新潟県中越地震からは住んでいた地域ごとに入居できるようにするなど、配慮がなされるようになったと聞く。</li><li id="footnote_7_142" class="footnote">既存のマンションなどに同じく、住民の孤立が問題となっている。特に一人住まいの高齢の方の場合など大きな問題である。</li><li id="footnote_8_142" class="footnote">進行していたバブル景気の崩壊が、それに拍車をかけた。</li></ol>]]></content:encoded>
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		<title>FOR YOUR SMILE 311</title>
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		<pubDate>Mon, 15 Aug 2011 14:59:09 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Daisaku</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[日々]]></category>

		<category><![CDATA[東日本大震災]]></category>

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		<description><![CDATA[
女木島にて［2010年8月5日（出展作品と同日）撮影］
昨日（8月14日）は、大阪で開かれた東日本大震災へのチャリティ写真展 FOR YOUR SMILE 311 の最終日であった。訪れてみると会場は盛況で、丁寧に一点 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img class="aligncenter size-full wp-image-114" src="http://www.oozu.info/blog/wp-content/uploads/2011/08/20100805-SDIM2115.jpg" alt="" width="600" /><br />
女木島にて［2010年8月5日（出展作品と同日）撮影］</p>
<div style="margin-top:30px">昨日（8月14日）は、大阪で開かれた<a href="http://www.oozu.info/blog/?p=139" target="_blank">東日本大震災へのチャリティ写真展 FOR YOUR SMILE 311</a> の最終日であった。訪れてみると会場は盛況で、丁寧に一点一点を見てゆく人、あれこれと品定めをしながら作品を選ぶ人の姿が絶えない。311人の写真家が寄せた作品はそれぞれ異なったアプローチを取りながらも、作者の心に沈む言葉にできない何かを静かに語っているようだった。</div>
<div style="margin-top:23px">企画された一人、<a href="http://kozo-ono.jp/" target="_blank">小野晃蔵さん</a> とは初対面である。いただいた丁重なメールの行間には熱い心情が潜んでいるように感じたが、お会いしてみるとその印象に違わない方であった。311人ものプロの写真家がはたして賛同してくれるのか、アート、特に写真の市場が成熟しているとは言い難い日本で、作品を購入してもらいチャリティに結びつけることができるのか、そんなことを考えるばかりでは仕方がなくて、とにかくこのようなことは気持ちひとつである。それがなければ跳べないし、辿り着くことも叶わなかっただろう。</div>
<div style="margin-top:25px"></div>
<p><img class="aligncenter size-full wp-image-114" src="http://www.oozu.info/blog/wp-content/uploads/2011/08/20110814-20110814-SDIM0191_SPP.jpg" alt="" width="300" /><br />
会場となった中之島デザインミュージアム（大阪市）［2011年8月14日撮影］</p>
<div style="margin-top:25px">末筆ながら、拙作をお買い上げくださった方に心から御礼をお伝えしたいと思う。主催された皆さんやご覧くださった皆さん、そして買い求められた方の思いがそこに重ならなければ、私のささやかな望みは今支えを必要とされている方々に届かなかった筈である。その意味で、あの一枚は私にとっても特別な作品となった。</div>
<div style="margin-top:20px">言葉にならない、感謝を込めて。</div>
<div style="margin-top:50px">関連記事：<a href="http://www.oozu.info/blog/?p=139" target="_blank">ほほえみのために（2011-8-6）</a></div>
<div style="margin-top:30px">【追記】<br />
実行委員の方より収支報告をいただいた。義援金として計2,412,069円を、日本赤十字社を通じて募金することができたとのことである。お一人おひとりの真情の積み重ねであろうと思う。</div>
<div style="margin-top:60px"></div>
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		<title>ほほえみのために</title>
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		<pubDate>Sat, 06 Aug 2011 12:28:46 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Daisaku</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[日々]]></category>

		<category><![CDATA[東日本大震災]]></category>

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		<description><![CDATA[
先日、私に一通のメールが届いた。
大阪の写真家の方からで、東日本大震災で被災された方に向けたチャリティのための写真展を企画しており、出展いただけないかというお誘いであった。311名のプロフォトグラファーの賛同を募り、出 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img class="aligncenter size-full wp-image-114" src="http://www.oozu.info/blog/wp-content/uploads/2011/08/311.jpg" alt="" width="300" /></p>
<div style="margin-top:35px">先日、私に一通のメールが届いた。</div>
<div style="margin-top:10px">大阪の写真家の方からで、東日本大震災で被災された方に向けたチャリティのための写真展を企画しており、出展いただけないかというお誘いであった。311名のプロフォトグラファーの賛同を募り、出展作品の販売と寄付を義援金として日本赤十字に寄付したい、関西から写真を通して少しでも力になれないか…という趣旨には深く頷けるものがあり、私は即座に参加を決めたのである。</div>
<div style="margin-top:23px">関西から見て、東北をはじめとする今回の被災地は、やはり遠い土地である。にもかかわらず少なからぬ関西の人たちや自治体などが、震災の直後から被災者支援へ動いたことには、大阪に育ったものとして誇らしい思いがあった。それにしても関西からの発信でプロの写真家311人を募るなんてえらい大変やで…と内心思ってもいたのだが、ふたを開けてみれば見事に予定の人数を実現できたようで、また私は嬉しくなった。</div>
<div style="margin-top:23px">大きな災害が与えるものは、ただ一時の苦しみばかりではない。16年前のような辛い思いから、できるだけ多くの人が、できるだけ早く開放されることを願うばかりである。僅かでも、その一助となればと思う。</div>
<div style="margin-top:23px">小品ながら拙作もご覧いただけます。暑いさなかではありますが、何とぞ足をお運びくだされば幸いです。</div>
<div style="margin-top:45px"><strong>東日本大震災復興支援チャリティー写真展「FOR YOUR SMILE 311」</strong></div>
<div style="margin-top:10px"><strong>2011年8月10日（水）〜 14日（日） 12:00 – 19:00</strong></div>
<div style="margin-top:1px"><strong><a href="http://designde.jp/" target="_blank">中之島デザインミュージアム　de sign de > </strong>（大阪市北区中之島5-3-36）</a></div>
<div style="margin-top:5px">※初日19:00よりオープニングイベント　※会期中無休　※入場無料</div>
<div style="margin-top:15px">主催・企画：FOR YOUR SMILE 311実行委員会<br />
後援：大阪市<br />
協力：中之島デザインミュージアム de sign de > 、小野晃蔵写真事務所、サンク、木村正史写真事務所、鞍留清隆、木村耕平写真事務所、矢橋恵一、七雲/ヨシダダイスケ、門川裕子写真事務所、（有）オガワジュンゾウ・クリエイツ、（有）シマダデザイン</div>
<div style="margin-top:25px"><strong>charity photography exhibition　FOR YOUR SMILE 311</strong><br />
Period: August 10, 2011 (Wednesday) to August 14, 2011 (Sunday). 12:00-19:00<br />
Venue: NAKANOSHIMA DESIGN MUSEUM, de sign de ><br />
Address: Nakanoshima Banks East, 5-3-56 Nakanoshima, Kita-ku, Osaka-city, Japan<br />
URL: http://designde.jp/</div>
<div style="margin-top:70px">今日は、広島に原子爆弾が投下されて66年目となる日であった。無慈悲というほかない殺戮を目的とした軍事兵器に対して「平和利用」と喧伝された原子の炎が、私たちの毎日と将来の平和を脅かし続けることとなったいま、あの烈しい陽射しと蝉時雨のもと陽炎に揺れる<a href="http://www.oozu.info/blog/wp-content/uploads/2011/08/20110815-_8156463.jpg" target="_blank">ささやかな碑に刻まれたことば</a>を、あらためて省みなければならないと思う。</div>
<div style="margin-top:50px">関連記事：<a href="http://www.oozu.info/blog/?p=140" target="_blank">FOR YOUR SMILE 311（2011-8-15）</a></div>
<div style="margin-top:60px"></div>
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		<item>
		<title>再び、渚にて</title>
		<link>http://www.oozu.info/blog/?p=138</link>
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		<pubDate>Mon, 27 Jun 2011 17:08:31 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Daisaku</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[旅]]></category>

		<category><![CDATA[東日本大震災]]></category>

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		<description><![CDATA[
朝の周防灘。この左手に祝島が浮かぶ［山口県光市浅江付近から2008年8月24日撮影］
Seto Inland Sea around Iwaishima island on August 24 2008. Photogr [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img class="aligncenter size-full wp-image-114" src="http://www.oozu.info/blog/wp-content/uploads/2011/06/20080824-_8240732.jpg" alt="" width="600" /><br />
朝の周防灘。この左手に祝島が浮かぶ［山口県光市浅江付近から2008年8月24日撮影］<br />
Seto Inland Sea around Iwaishima island on August 24 2008. Photography by Daisaku oozu.</p>
<div style="margin-top:42px">ほんのささやかに、舵は取られた。瀬戸内海の西端近く、周防灘に面した山口県上関町に計画され、工事が進められようとしていた中国電力上関原子力発電所について、山口県知事は27日の県議会で、予定地の公有水面埋立免許の延長を認めない方針を表明した。これにより、前途に予断は許さないものの、上関原発の建設計画はもとより、政府のエネルギー政策も一層の見直しを迫られることになるだろう。</div>
<div style="margin-top:32px">瀬戸内海は温暖な気候に恵まれ、豊かな生態系を持つ多島海である。瀬戸内に慣れ親しんで育った者として、その風光の美しさと海産物の豊富さは言をまたない。なかでも建設予定地の対岸に位置する祝島周辺は希少な種が生息し、瀬戸内海でも残り僅かな、生物の多様性の保たれた場所ということである。光や徳山といった工場密集地の至近にあって不思議な気もするが、確かに周囲の風景は本当に美しい。<br />
もし上関原発が建設されたなら、原子力発電そのものの持つ危険性のほかにも、発電所からの排水によって水温が上昇し、生態系に深刻な打撃が与えられる。農産物にも風評被害がもたらされる。海と共に生きる島の生活と将来を奪われたくはないという、決して特別のことではない思いが、30年に渡り地道な反対運動を続けた人々の原動力であったと聞く。</div>
<div style="margin-top:32px">4月初め、<a href="http://www.oozu.info/blog/?p=132" target="_blank">気仙沼で被災した牧野君を訪ねた</a>翌日、私はハンドルを握るK君の好意に甘え、1月に撮影したばかりの三陸沿岸を再訪した。高く長い防潮堤はことごとく粉砕され、傾ぎ、水中に没していたが、しかし不幸にして無に帰したとはいえ、三陸の人が積み重ねてきた災害への備えのそれぞれには、過去の経験から学ぶ姿勢が現れていたと思う。いま見られる日本の風景の多くは、自然の力と人間の営為の双方によって形作られているが、私が三陸の風景に見出した好ましさの核心は、自然の厳しさと豊かさを理解して、その中に自分たちの生活を位置づける人々の営みであった。</div>
<div style="margin-top:22px">　</div>
<p><img class="aligncenter size-full wp-image-114" src="http://www.oozu.info/blog/wp-content/uploads/2011/06/20080824-_8240722.jpg" alt="" width="400" /><br />
大畠瀬戸（安芸灘側）。朝の漁の様子［山口県柳井市神代付近から2008年8月24日撮影］<br />
Seto Inland Sea on August 24 2008. Photography by Daisaku oozu.</p>
<div style="margin-top:48px">原発を、少なくとも福島第一原発を作った人々、そして許認可を与えた人々に、そのような姿勢は望むべくもなかったのだろう。地震の絶えない日本で原発という危険性を孕んだ施設を建てるにあたっては、どれほどの慎重さをもってしても足りないのではないかと思えるが、彼らには自然への最低限の畏れすら欠落していた。その結果が、いつ収束するとも知れない今回の原発事故である。危険に曝されているのは、今に生きる私たちばかりではない。続く世代に負の遺産が重くのしかかってゆく。</div>
<div style="margin-top:62px">「安全です」と、繰り返すほどに滲み出る欺瞞。都市から離れた遠隔地に犠牲を強いて成り立つ立地。<a href="http://www.oozu.info/blog/?p=133" target="_blank">16年前、美浜で感じたもの</a>が全てであったと思う。たとえ発電所自体の安全性をどれほど高めることができようとも、政治と企業と国民の有りようと関係が根本的に変わらない限り、原子力発電は日本においては危険なものであり続けるだろう。福島の原発事故を受けて周辺自治体が建設反対を掲げる中、推進と反対の狭間でいまも揺れる上関町のように、原発立地には有形無形の負担が強いられ続けるだろう。</div>
<div style="margin-top:32px">私たちはいま、疑いもなく岐路に立っている。明日、明後日と相次いで開催される、各電力会社の株主総会の動向を見守りたいと思う。</div>
<div style="margin-top:45px">関連記事：<a href="http://www.oozu.info/blog/?p=133" target="_blank">沈黙の春（2011-3-24）</a></div>
<div style="margin-top:5px">関連記事：<a href="http://www.oozu.info/blog/?p=136" target="_blank">渚にて（2011-4-4）</a></div>
<div style="margin-top:25px">　</div>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>泥と瓦礫の街から</title>
		<link>http://www.oozu.info/blog/?p=137</link>
		<comments>http://www.oozu.info/blog/?p=137#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 05 Jun 2011 13:46:16 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Daisaku</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[旅]]></category>

		<category><![CDATA[東日本大震災]]></category>

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		<description><![CDATA[
宮城県気仙沼市 田中前付近［2011年4月2日撮影］
Kesennuma City on April 2 2011. Photography by Daisaku oozu.
車は気仙沼の街を走っていた。砂塵舞う道の両 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img class="aligncenter size-full wp-image-114" src="http://www.oozu.info/blog/wp-content/uploads/2011/06/20110402-_4025031.jpg" alt="" width="600" /><br />
宮城県気仙沼市 田中前付近［2011年4月2日撮影］<br />
Kesennuma City on April 2 2011. Photography by Daisaku oozu.</p>
<div style="margin-top:25px">車は気仙沼の街を走っていた。砂塵舞う道の両脇には、家具や畳や建具その他あらゆる瓦礫と、海底から運ばれた泥が積み上げられている。目指す牧野君の店は目前にあるのだが、うずたかい瓦礫に遮られ、表通りからは入ることができない。一つ裏の通りに回りこみ、ようやく車のエンジンを切ったK君と私を、牧野君は笑顔で迎えてくれた。津波から3週間が経っていた。</div>
<div style="margin-top:55px">修理の続く店舗の奥の部屋で、仲間達からの御見舞などを手渡し、温かなコーヒーを片手に話を聞く。「高台へ逃げろ」と書いた、私のメールを受け取ってからさほどの間もなく、津波はこの一帯を襲った。ここは湾から3キロメートルほど内陸にあたり、背後には高台が控えている。まさかここまでは…との思いをかき消し、水は店の正面からなだれ込んだ。閉じていた側面のシャッターを突き破って、車が店内に飛び込む。牧野君達はこの奥の部屋に逃げこみ、2階への階段を上った。水かさは増したが1階の天井に達することはなく、彼は階段の途中で私に返信しようとした。しかし、その時にはもう電波が通じなかったという。</div>
<div style="margin-top:30px">　</div>
<p><img class="aligncenter size-full wp-image-114" src="http://www.oozu.info/blog/wp-content/uploads/2011/06/20110402-_4025023.jpg" alt="" width="400" /><br />
宮城県気仙沼市 南郷付近［2011年4月2日撮影］<br />
Kesennuma City on April 2 2011. Photography by Daisaku oozu.</p>
<div style="margin-top:35px">2時間ほどで水は徐々に引いた。腰ほどの高さの水をかき分けて脱出し、高台の向こうの自宅に避難した。家族全員の無事は不幸中の幸いであったが、親類や友人からは訃報が届いた。店も大きな被害を受け、商品のみならず1階部分に大掛かりな修理が必要となった。それでも、<br />
「速攻で再開します」<br />
勢い込んだ声で牧野君はそう言った。自らを奮い立たせるような声だった。流れ込んだ泥はきれいに流され、傷んだ壁は剥がされ、床には真新しい建材が積まれていた。店の外では家族と従業員が什器を洗っていて、時に賑やかな声も聞こえてきた。従業員の中には自宅を津波に流された人、夫が職を失ってしまった人もいる。倉庫に残っている商品からでも、営業を再開したいと彼は言った。十数年前から変わらない朴訥な顔は少し疲れて見えたが、眼には強い決意の光があった。</div>
<div style="margin-top:30px">　</div>
<p><img class="aligncenter size-full wp-image-114" src="http://www.oozu.info/blog/wp-content/uploads/2011/06/20110402-_4025043.jpg" alt="" width="400" /><br />
店舗1階にて［2011年4月2日撮影］<br />
Photography by Daisaku oozu.</p>
<div style="margin-top:35px">再訪を約束して店を辞した。傾き始めた陽射しの中で、人々は忙しく立ち働いていた。重機を動かし瓦礫を運び、幼な子を抱いて、声掛けあって歩いていた。夥しい水と泥と瓦礫に日常を奪われ、崩れた家と船たちが術なく佇む町の中で、しかし留まることのない日々の暮らしに立ち向かう人の表情は、決して沈んではいなかった。「復興」と声には出さずとも、足許と遠い光を見据えて、気仙沼の人々は歩みを進めていた。</div>
<div style="margin-top:30px">　</div>
<p><img class="aligncenter size-full wp-image-114" src="http://www.oozu.info/blog/wp-content/uploads/2011/06/20110403-_4035249.jpg" alt="" width="400" /><br />
宮城県気仙沼市 鹿折唐桑駅付近［2011年4月3日撮影］<br />
Kesennuma City on April 3 2011. Photography by Daisaku oozu.</p>
<div style="margin-top:90px">先月、牧野君の店は営業を再開することができた。付近は片付けられたが、市内でも他の地区では6月の今も泥が残り、大量の蠅が発生しているという。そして市内の避難所には未だ三千数百の人が暮らしている。</div>
<div style="margin-top:30px">県や町ばかりか人それぞれに異なる、復興への長く険しい道程に、いったい誰が十把一絡げにここまで、と「目処」など定められようか。苦しみの土地に今日も生きる人々に、ただひと筋の光あれと心から願う。</div>
<div style="margin-top:45px">関連記事：<a href="http://www.oozu.info/blog/?p=132" target="_blank">たずねびと（2011-3-13）</a></div>
<div style="margin-top:5px">関連記事：<a href="http://www.oozu.info/blog/?p=133" target="_blank">沈黙の春（2011-3-24）</a></div>
<div style="margin-top:25px">　</div>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>渚にて</title>
		<link>http://www.oozu.info/blog/?p=136</link>
		<comments>http://www.oozu.info/blog/?p=136#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 25 Apr 2011 17:07:07 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Daisaku</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[旅]]></category>

		<category><![CDATA[東日本大震災]]></category>

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		<description><![CDATA[
四倉海水浴場［福島県いわき市四倉にて2011年4月2日撮影］
Yotsukura swimming beach on April 2 2011.  35-kilometer from Fukushima Daiichi [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img class="aligncenter size-full wp-image-114" src="http://www.oozu.info/blog/wp-content/uploads/2011/04/20110402-_4024957.jpg" alt="" width="600" height="450" /><br />
四倉海水浴場［福島県いわき市四倉にて2011年4月2日撮影］<br />
Yotsukura swimming beach on April 2 2011.  35-kilometer from Fukushima Daiichi Nuclear Power Station. Photography by Daisaku oozu.</p>
<div style="margin-top:20px">波は静かに、とても静かに打ち寄せていた。さざ波に濡れて朝焼けを映す砂浜が美しい。さわやかな朝の渚に、しかし人の姿はない。福島第一原子力発電所から南へ35km、この四倉に暮らす人はいま半数に減ってしまったと聞く。やがて水平線の彼方に一隻の軍艦が現れ、南へと音もなく消えていった。</div>
<div style="margin-top:80px">私の大学時代の友人K君には、いわき市四倉に住むAさんという友人があった。4月1日、所用で同行することになったK君と私は、目的地への途上まずAさん宅へ物資を届けることになったのである。首都高速道路から常磐自動車道に入り、水戸を過ぎる頃から車の数は目に見えて減った。東海村そして日立市と、くぐり抜ける夜景はどこまでも暗く、工場の高い煙突から吐き出される煙だけが夜空を白くまだらに染めた。<br />
福島県に入ると交通量はより少なく、いわき中央インターチェンジからは私たちの車だけとなった。対向車も、前後を走る車もない片側1車線の高速道路の果てに「ここで出よ 車両確認中」の文字が黄色く浮かび上がると、いわき四倉インターチェンジであった。この先は原発事故のために封鎖されている。一般道路に下り四倉の町を目指す。ふと窓を開け夜空を見上げると、幾千幾万の星の光が揺れながらまたたいていた。</div>
<div style="margin-top:22px">泥の帯が道の両側に広がるようになったと思うと、瓦礫や壊れた車がそこここに現れはじめた。常磐線の線路を越えて国道6号線に入る。立ち並ぶ商店や人家に明かりはなく、コンビニエンスストアもガソリンスタンドも店を閉めてしまっていて、どの角を曲がれば良いのか見当がつかない。交差点で停車し地図を確かめる。信号機に取り付けられた電光掲示板が、原子力発電所の20km圏内に避難指示、30km圏内に自主避難要請が出ていると繰り返し告げていたが、それを目にするはずの人も車も、その一切が見当たらない。</div>
<div style="margin-top:10px">　</div>
<p><img class="aligncenter size-full wp-image-114" src="http://www.oozu.info/blog/wp-content/uploads/2011/04/20110402-_4024877.jpg" alt="" width="400" /><br />
四倉舞子浜入口交差点［福島県いわき市四倉にて2011年4月2日撮影］<br />
Yotsukura, Fukushima.  Photography by Daisaku oozu.</p>
<div style="margin-top:70px">Aさんは、夫婦に娘さん2人の4人家族。発電所の計器保守を請け負う会社に勤務している。事故発生のあと親類宅に一家で避難したが、勤務先からの指示を受けAさんは帰宅せざるを得なくなった。幼い娘たちを奥さんと避難させたまま、単身の帰宅である。父親から受け継いだ四倉の家は海にほど近く、気候のよい立地をとても気に入っていたが、原発の事故が生活を一変させてしまった。Aさん宅付近にいまも残る住民は約半数となり、燃料の供給は細く、ミネラルウォーターも不足している。</div>
<div style="margin-top:22px">娘たちを今後この土地で育てることは難しい、とAさんは考えている。海も放射性物質に汚染され、泥んこ遊びの好きな娘たちを、浜辺で自由に遊ばせることすらできなくなってしまった。しかし、原発から35kmの立地では自主的な避難に根拠を持たせることができず、今後の補償も望み薄く思われて身動きが取れない。もし引き払うとしても不動産として価値はあるのか。何より、家族が離れて過ごす状態を長く続けるなど、とてもできないこととわかってはいる。だがAさんは、まだ方策を見いだせずにいる。</div>
<div style="margin-top:50px">　</div>
<p><img class="aligncenter size-full wp-image-114" src="http://www.oozu.info/blog/wp-content/uploads/2011/04/20110402-_4024881.jpg" alt="" width="400" /><br />
四倉の家並み［福島県いわき市四倉にて2011年4月2日撮影］<br />
Yotsukura, Fukushima.  Photography by Daisaku oozu.</p>
<div style="margin-top:30px">運んできたガソリンとミネラルウォーターなどを車から降ろして、Aさん宅を辞した。車も人も、鳥の姿さえ見あたらない早朝の町を、K君の車は北へと走る。Aさんは私たちと同じ年齢だ。幼い娘さんの描いた、愛らしい何枚もの絵が飾られた居間で、言葉すくなに訥々と語る胸の内は察するに余りあった。</div>
<div style="margin-top:30px">気づけば空に星の姿はなく、前方の一角にゆっくりと光が戻りはじめていた。</div>
<div style="margin-top:45px">関連記事：<a href="http://www.oozu.info/blog/?p=133" target="_blank">沈黙の春（2011-3-24）</a></div>
<div style="margin-top:25px">　</div>
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		<item>
		<title>年々歳々花相似</title>
		<link>http://www.oozu.info/blog/?p=134</link>
		<comments>http://www.oozu.info/blog/?p=134#comments</comments>
		<pubDate>Sat, 16 Apr 2011 13:08:27 +0000</pubDate>
		<dc:creator>Daisaku</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[日々]]></category>

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		<description><![CDATA[
昨年の写真展の折、ある方達が素敵なカードをそえて送ってくださった花がある。華やかなだけでなく花の生命力を感じさせる見事なアレンジメントだった。作ったのは東京の豊田にあった花屋さんなのだが、地元でも評判のこの店は再開発の [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img class="aligncenter size-full wp-image-114" src="http://www.oozu.info/blog/wp-content/uploads/2011/04/Alice_Hachiouji.jpg" alt="" width="600" height="450" /></p>
<div style="margin-top:20px">昨年の写真展の折、ある方達が素敵なカードをそえて送ってくださった花がある。華やかなだけでなく花の生命力を感じさせる見事なアレンジメントだった。作ったのは東京の豊田にあった花屋さんなのだが、地元でも評判のこの店は再開発のため27年に渡り構えた豊田を離れ、4月から八王子へ移ることになった。</div>
<div style="margin-top:20px">母と娘のお二人で営む「<a href="http://ameblo.jp/flowershop-alice/" target="_blank">フラワーショップ Alice</a>」の花は、華やかでありながら飾ったところがない。一輪一輪の生命を感じさせながら可憐さを失わない。何より常に新鮮で長く美しい。さらに実にリーズナブルなお値段である。評判にならない筈がないのだが、お二人は気負った様子も見せず商いを続けている。</div>
<div style="margin-top:15px">移転開業にあたりショーケースを新調することになったのだが、折悪しく、福島県南相馬市の工場で製作されていたケースは津波に遭って流されてしまった。連絡も途絶えアリスのお二人は心配したが、幸い無事に避難されていることがわかり、復興の一助になればと再製作を依頼した。ところが、工場は福島第一原発から10km圏内とのことで戻ることができず、断念するほかなかったとのことである。</div>
<div style="margin-top:5px">　</div>
<p><img class="aligncenter size-full wp-image-114" src="http://www.oozu.info/blog/wp-content/uploads/2011/04/Alice_Flower2.jpg" alt="" width="240" height="305" /></p>
<div style="margin-top:15px">落ち着かない日が続きますが、お近くの方はぜひ「フラワーショップ Alice」へ足を運んで差しあげてください。節電のため照明を落とした店内で、しかし花は強く美しく輝いています。歳歳年年人不同…</div>
<div style="margin-top:12px"><a href="http://ameblo.jp/flowershop-alice/" target="_blank">フラワーショップ Alice</a><br />
東京都八王子市旭町12-13 旭町ステイタスビル1F　TEL. 042-656-6316<br />
JR八王子駅北口より徒歩2分　11am-8pm　水曜日定休</div>
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