十三夜の月

Daisaku on Sep 16th 2008

旅の終わりにはいつも、寂しさと安堵が心のなかに折り重なる。東へ向かう列車の車窓から大きな湖が見えなくなった頃、遠く稜線の上には夕暮れに照らされた雲が踊った。しかしそれもわずかな間で、つるべ落としに暗くなってゆく宵闇の色が秋の到来を告げていた。
列車は小さな駅に停まった。通過待ちのためしばらく停車するという。プラットフォームに降りると、いっせいに虫の声。ほどなく閃光が近づき、光の帯となって向こう側の線路を駆け抜けてゆく。さて、と列車に戻ろうとして振り返ったその時、東の空にかかった月の姿が僕の視線を奪った。
群青色の薄暮の中、わずかに紅く、わずかに満たされないまま、十三夜の月が刹那を凍らせていた。

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夏空の記憶

Daisaku on Sep 11th 2008

あれは小学校の夏休み、毎日のように通ったプールの帰り道。家の近くまで来た僕は、ふと空を振り返った。
かみなり雲がもくもくと聳え立つ空。昨日と何ひとつ変わらないような昼下がりの夏の空。でもそのとき僕は、何故かその光景に違和感を覚えた。夏休みそのもののような青い空、毎日そこにあって当たり前のように思っていた景色と、その日は何ごとかが決定的に違うように思ったのだ。
いったい何が違っているのか、探しても手がかりは見つからない。空はいつもの夏空で、雲はいつものかみなり雲だった。空の方に違いがないのなら、変わったのはそれを感じる自分の方だった。そう気づいた瞬間、小学生の僕は、自分が何かもう戻ることのできない橋を渡ってしまったことを知った。
年が過ぎれば季節はまた同じように巡り来るけれど、今年の夏は決して去年の夏ではなく、今歩いている自分は去年の、昨日の自分ではないのだった。永遠に続くように思えた夏休みにも、いつか終わりがやってくる。いまは子供の自分も、いずれ子供ではなくなってゆく。何ひとつ変わらない夏の空なのに…何ひとつ変わらない夏の空だからこそ、僕は知らされたのだった。時は流れ移ろい、そうして限りある時間の中に、自分もまた生きているということを。
列車は午後の時間の中を進んでいた。車窓には遠く秋の色を帯びはじめた夏空と、形を失いかけたかみなり雲が映る。無邪気に過ごした少年の日々と訣別し大人へと一歩を踏み出したあの日から、もう幾度めの夏。今年も忍び寄る秋の気配の中、もう少しの間だけ夏の光を感じていたかった。

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青木湖の朝

Daisaku on Sep 3rd 2008

中綱湖を後に北へ。やがて道は二手に分かれて、大きな湖の左右へと回り込んでゆく。青木湖である。
青木湖は仁科三湖の中で最もその面積が広い。周囲の山々にはゲレンデが広がり湖畔にはキャンプ場もあるが、静かな雰囲気の湖で、澄みわたった水が美しい。
湖の西側に通じる道を進む。見晴らす湖面の先、低く流れるやわらかな雲が山の向こうの朝陽の光をはらんで真珠の色に染まる。その明るさが逆光となった対岸の山々を淡く照らし出す。
抑えられたトーンの中に幾千もの光の粒が遊ぶさまの全てを見逃すまいと、ひとしきり忙しく過ごした時間が過ぎた頃、蝉たちの声が樹々の間に響き始める。時計を見ると、午前6時20分。夏の一日は始まったばかりだった。

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中綱湖にて

Daisaku on Aug 16th 2008

夜行列車を終点で降り、各駅停車に乗り継いでさらに北を目指す。すでに夜は明けているが、山々に囲まれた盆地の底に朝の光はまだ届かない。列車が進むにつれ左右の山の緑が迫る。ガラス瓶の首のように細くなってゆく盆地の北の端を塞いで、静かに水をたたえる木崎湖の姿が見えてきた。
長野県と富山県を隔てる後立山連峰の東の山裾、標高800mほどの山あいに、3つの湖が南北に並ぶ。南から順に木崎湖、中綱湖、青木湖と呼ばれ、仁科三湖と総称される大小3つの湖は、北アルプスへの玄関口となる大町とスキーヤーで賑わう白馬の中間に位置しながら、それぞれに静かな佇まいを残している。木崎湖は秋の紅葉と朝霧が特に美しいのだが、今回は次の駅で降りて、中綱湖から歩きはじめようと思う。
中綱湖の湖面は鏡のように静まり返っていた。国道に沿って湖岸を歩く。路傍の草には朝露が宿り、林からは夜気の名残りが伝わってくる。駅から歩いて20分ほど、湖の北辺近くに場所を見つけてカメラを構える。
ファインダー越しの静かな水辺。樹々の上を朝の靄がゆっくりと進むほかには、何ひとつ動かずにいるようだった。

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夏の旅へ

Daisaku on Aug 10th 2008

夏山へ向かう夜行ほど、快適な眠りに縁遠い列車も少ないかもしれない。
暑さにむせ返る都会の夜から、重装備の山男たちで満員の車内に紛れ込み、汗もろくに拭えないままに狭い座席で寝酒を胃に流し込む。
それでも、レールの継ぎ目を拾う音と浅い眠りに身を任せたその翌朝、山の稜線がほのかに浮かび上がり、空が濃い青と朝焼けに染まり始めたら、もう眠気なんて吹き飛んでしまう。まばたきもせず車窓を眺めるうちに、空は刻一刻と色を変えてゆく。水蒸気が山肌をすべり、まだ見えぬ朝日が雲のふちをあかく染め始める。
やがて停車した無人駅でデッキに立ち、清冽な空気を胸いっぱいに吸い込んだら、今年もまた、夏の旅が始まる。

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遠雷を聴きながら

Daisaku on Aug 2nd 2008

梅雨が明けた。樹々の間に蝉の声が響きはじめた。祇園さんも天神さんの船渡御も、今年も短いニュースの中にだけ聞いて、気がつけば関東も夏だった。
今日も真夏日の休日、網戸越しに吹く涼しげな風に誘われ畳に横たわる。どのくらい眠ったのか、風の止んだ気配にふと目を覚まして窓の外を見た。あたりは不思議な夕暮れの色…穏やかでいて艶かしく、懐かしくも恐ろしいようなアンバーの色に満たされていた。
急いでカメラを持ち出す。ベランダから、洗面所の窓から忙しくシャッターを切る。外に出て撮影場所を探す暇はない。夕暮れが美しさを極めるのはほんの一時だが、この何とも言い表せない琥珀色の時間は思いのほか長く続いたように思う。近くの公園から盆踊りのざわめきが聴こえてきて、ようやく我に返る。時刻は午後七時を過ぎていた。
遠く、低く、かすかに雷の音が響いていた。

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トラムの走る街角

Daisaku on Jul 15th 2008

いま個展を開催している Friedrichshain のギャラリーの辺りには雰囲気のいいカフェなどが散在していて実に居心地がよいのだが、トラム(路面電車)の停留所があちらこちらにあって、気が向いたらちょいと手軽に、普段とは違った視点から街を眺めてみることができるのも嬉しい。トラムの窓からは、飾らない生活が見える。
ベルリンのトラムの歴史は19世紀に遡るが、現在その路線のほとんどは、分断の時代に東ベルリンとなった地区を走っている。西ベルリンの方では車の波に呑まれたのか70年代を待たずに路線網は全廃されてしまったのだが、近年西ベルリンであった地区へと延伸された路線もあって、ベルリンのトラムは再び脚光を浴びはじめた。
ギャラリーを出て南へ歩く。三角形の公園のそばに立つ停留所からトラムに乗りこむ。車窓を眺めながらいくつか先、初めての街角で降りてまた歩き、風通しの良さそうなカフェの窓際の席に座る。注文を伝えてふと外を見た丁度その時、明るい黄色のトラムが軽々と通り過ぎ、向こうの角を曲がっていった…。

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Ostkreuz

Daisaku on Jul 8th 2008

先日、ベルリン在住の Masato さんのブログ「ベルリン中央駅」にて、開催中の私の個展 “Illusions of the Sea” をご紹介いただける機会があった。記事からはギャラリーのある Friedrichshain 地区の雰囲気がよく伝わって楽しいのだが、なかでもSバーン Ostkreuz 駅周辺の様子が興味深い。
1920年代からその姿を大きく変えていないという駅施設や黒く聳え立つ給水塔は独特の魅力を放つ。周囲に散在する廃墟や空き地の佇まいにも不思議に惹きつけるものがあり、ベルリンを訪れる度なぜか足を運んでしまう。
写真は、駅の南東に広がる空き地で今年の5月に撮影したもの。ここはガラス工場であったらしい(1932年の地図には “Strain-Glashötte” とある)。左の建物の1階部分には荷役のためのプラットフォームと引込線のレールが残されている。東に隣接する敷地には “Engelhardt-Brauerei” というビール工場の跡(”Flaschenturm” -「瓶の塔」の異名をとる。1990年代まで生産が続いたという)があるから、そのためのガラス瓶を生産していたのかもしれない。
引込線跡は踏み分けられて歩道となり、散歩やジョギングを楽しむ人々が通り過ぎる。役目を終えた Flaschenturm では、演劇の公演も開催されたと聞く。不安の暗雲の下に文化の爛熟をみた1920年代から、流転する時代を見つめ続けた建物達。右を見ても左を向いても工事中のベルリンの片隅にうずくまる彼らに、これからはどのような運命が待つのだろうか。

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Kleine Hamburger Straße にて

Daisaku on Jun 29th 2008

ベルリンでは、思いもかけない場所に思いもかけなかったものを見つけることが少なくない。
Mitte の北寄り、カフェやギャラリーが点在する Linien Straße から、斜めに交わる Kleine Hamburger Straße に入る。と、わずか数十メートル先で通りは途切れ、目の前にサッカーのグラウンドが現れた。
センターラインの先、テレビ塔のそびえる方角へと続いたはずの道を遮るように、街区の真中にピッチが青々と横たわるのは不思議な光景だ。何か大きな施設、あるいは爆撃の跡だろうかと考える私をよそに、少年たちはボールを追い続ける。
初夏の陽射しが降りそそぐ午後。ロスタイムの終了を告げるホイッスルを後に、また歩き始めた。

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朝の海岸で

Daisaku on Jun 14th 2008

海岸を楽しむのは、ちょっと寂しいくらいの季節がいい。勝手にそう思っているのだが、

案外そんな人は少なくないのかもしれない、とも思う。

カンヌに着いたのはその日の朝だった。3月のフレンチ・リヴィエラはまだ肌寒く、

海辺のレストランで注文したブイヤベースがやさしく体をあたためてくれて、ようやく
人ごこちがついたように記憶している。

紺碧の海も、真紅のカーペットもまだ遠い早春の朝。控えめに並べられたビーチチェアと

パラソルから少しだけ離れて、少年がひとり砂とたわむれていた。

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